不器用
大学4年次、先生から言われた言葉から実感し始めた。
「あなた我が強いよね。自分で気づいてないのが面白いのよ。」
我が強い。薄々は感じていたが、言葉にされた時の衝撃は大きかった。
そうか。なるほど。
これまで、私がコミュニティに所属する度、そこでライバルができた。
ライバルといえば聞こえは良いが、実質敵だった。
お互いけん制しあい、蹴落としあう、といった方が適切だろう。
少なくとも、私はそうだった。
どことなく、実力が似たような人を探しライバルと決めつけ、
内心憎んでいたのかも知らん。
今まで、そのライバルのおかげで頑張れた。成長できたと思っていた。
だが、俺のことを一番深く知っている人物Aからある言葉をいただいた。
「敵を探している節があるよね。」
それと同時に、高校時代ある友人から言われた言葉を思い出した。
「なんでもかんでも思いどうりになると思っちゃいけんので。」
その時は、深く考えず、何を言ってんだと思った。
この言葉が連想し、俺は自身がコミュニティ内でうまくやっていける自信を失った。
ただ私は、敵を探しているのではない。
人の悪いとこが良く目につき、その悪い部分が自身に被害を及ぼす時、憎悪が沸くのだろう。
また、A曰く、私はそれが態度に出やすいのだという。
確かに、態度を隠そうとはあまり考えたことはないのかも知らんと思った。
それどころか、わざと悪態を示そうとすらしていたのかも知らん。
実際にその経験があるのだ。
私は大学時代に、誰かのせいで、被害を被る度に、徹底的にそれに抗おうとした。
それについて、後悔はしていなかった。
むしろ満足感すらあり、その抗ったことはさっぱり忘れていた。
だが抗われた人はその事を、永く、はっきりと覚えていた。
私はこれまで、自分を深く分析したことがなかった。
あの先生の言葉は、自信を分析する良い機会を与えてくれたのかも知らんなどと、良い話で終わらせるきはない。
私は、非常に自分の人格について悲観している。
どうしてこの人格が生まれたのだろう。
この人格を矯正する方法はあるのだろうか。
私はどのような振る舞いをコミュニティでとればよいのだろうか。
Aは、究極の謙虚を身に着けるべきだという。
全て俺の師匠。これは俺が尊敬する人の言葉だ。
このマインドでいこう。Aも納得したこの言葉で。
私の人格を形成する大きなマイナスファクターは、吃音だろうか。
私は吃音の為に、すらすら喋ることができない。
そのため、人と喋ることは凄くエネルギーが必要だ。
必死に喋ると早口で、テンパったようだ。
喋った後、自身を振り返る度に自己嫌悪に陥る。
ゆっくり、落ち着いて自信を持って喋りたい。
コンプレックス。理想との乖離。自信の欠如。
これを必死に補おう、自分の生き方を無理やり正当化しようと躍起になっていたのかもしらん。
自身の未熟さを認めよう。
Aも言っていた。
「自分を最低限の人間だと思う事」
これは、卑屈になるという意味ではなく、謙虚になるという事。
全ての人を師匠だと思う前に、このマインドを身に浸透させることだろう。
ボディランゲージは人を作る。
これは、確かなことだ。
どのような人物になりたいか。
それをまず明確にすることが大事だろう。
尊敬する人から、ヒントを得よう。
Mの太陽のような笑顔。
Nのような謙虚さ、努力。優しさ。
Yのような怖気づかず堂々としたスマートな振る舞いと気遣い。
Aのような言語化能力と今を見る解像度。
今は自身の性格のために、新しいコミュニティで精神的に逆境である。
この性格を自覚したからこそ、今なおさら辛い時期なのだろう。
R曰くそれは成長痛であるらしい。
尊敬する人に近づくこと、それは自身に無理を強いる
ボディランゲージをするという事。
これは、非常につらい事だろう。しかし、おれは性格を変えれると信じたい。
自身をこれまで以上に分析できていると信じている。
後は、矯正に力を入れるだけ。
この時期を乗り越え、コミュニティを築ける人になりたいのだ。